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東京モーターショーヒストリー
今回で40回をむかえる、「東京モーターショー」。その第1回は、なんと、「東京モーターショー」という名前ではありませんでした。
第1回の名称は、「全日本自動車ショウ」。1954年(昭和29年)に、東京・日比谷公園にて開催されました。現在の「東京モーターショー」という名前になったのは、1964年(昭和39年)の第11回からです。

そんな意外な歴史をもつ、東京モーターショー。最先端の技術やデザインが集結し、常に時代をリードしてきた「東京モーターショー」の軌跡を駆け足で振り返ってみましょう。
1950年代 当初は商用車が中心
 1954年(昭和29年)の第1回は、出品車両267台、10日間の会期で入場者は約54万7000人を数える戦後最大のショーとして盛り上がりました。乗用車の展示はわずか17台で、あくまで主役は建設車両、トラック、バス、三輪車、オートバイなどの、いわゆる商用車でした。この時代、まだクルマは庶民にとっては“夢のまた夢”。とても手の届かないものでした。
 翌年の第2回は、アメリカ風のモダンなデザインのトヨペット・クラウンRS型などが出品されて、純国産の本格的な乗用車時代の到来を予感させました。
 今では当たり前のように見かける外国人来場者を、会場でチラホラと見かけられるようになったのは第5回あたりから。そのころには、クラウンやスカイラインなどがアメリカ向けに本格的に輸出されはじめ、豪州ラリーでダットサン1000がクラス優勝するなどして、日本車の名は国際的にも知られるようになってきました。
1950年代 当初は商用車が中心
1955年の第2回、初の本格的国産乗用車として誕生したともいえるクラウンRS。1.5リッターエンジンを搭載し、当時としては出力、信頼性ともに高かった。
1960年代 マイカー時代到来
 1962年(昭和37年)の第9回では、マイカー時代の到来に向けて入場者がついに100万人を突破! 会場も広くなり、出品車両は410台を数えました。この年の注目の的は、最高時速130km以上をうたったホンダ・スポーツ500でした。
 日本のモータリゼーションの起爆剤となったカローラ、サニーが出品されたのは、「マイカー元年」と言われる1966年(昭和41年)の第13回。この年はインターナショナルショーへの脱皮を目指しただけあって、外国人来場者が約2万4000人、来場者総数は150万のラインを超え、約150万2300人となりました。
1960年代 マイカー時代到来
二輪メーカーだったホンダが四輪の世界へ本格進出を表明し、発表したのがこのS500。試作モデルの登場は1962年第9回全日本自動車ショウ。
1970年代 テーマは安全・環境配慮に移行
 輸入車メーカーが全面参加したのが1970年の第17回。海外からの出品は、7か国、33メーカー、95台におよびました。国産車メーカーも、セリカ1600GT、ギャランGTO-MR、スカイライン2000GT-Rなどのハイパワー・スポーツモデルでそれに対抗し、華々しい展示会となりました。しかしその一方で、統一テーマとして「人と車のよりよい明日」を掲げ、安全・公害対策などに、業界として本格的に乗り出した年でもあります。
 70年代に入っても、一般ユーザーがクルマに求めたものは、相変わらず夢やあこがれ、カッコ良さであったかもしれませんが、ショーのテーマは時代の要請をうけて、排ガス対策や、交通渋滞、安全・公害対策と、やや地味なものへと変わっていきました。
 1973年にはオイルショックの直撃を受けて、東京モーターショーもそのあり方自体を問われ、翌1974年は開催中止となってしまい、それ以降は隔年開催となりました。
1970年代 テーマは安全・環境配慮に移行
国産初のスペシャリティカーとして1970年10月にデビューしたセリカ。ベースとなったのは1969年の第16回東京モーターショーに出品されたEX-1プロトで、第17回にはニューモデルとして出品された。
1980年代 高級車が続々登場
 1981年開催の第24回は、小型・大衆車のFF化とターボ、オートマチックミッションの展示が目立ちました。前回、セドリックでターボ時代の先陣を切った日産に続いて、三菱もミニカ、ランサーEX、ギャランシグマなどでターボのフルラインアップを形成、ダイハツからはシャレード・デ・トマソ・ターボが参考出品されました。
 ワンボックス、ワゴンなどのレジャーヴィークル(RV)もモデル数が増え、出品台数は849台とそれまでの最高を記録、減少傾向だった入場者数も111万4200人と大きく戻しました。
 1985年の第26回では、展示車両は1032台(内229台は輸入車)と過去最高を更新。ツインカム4バルブエンジン、4WD、4WS(4輪操舵システム)などの新技術が発表されました。
 1989年の第28回は会場を幕張メッセに移し、国産、輸入乗用車が同じフロアーに展示されました。日本の技術力は世界のトップレベルとなり、欧米の高級車に匹敵するニューモデルを展示して見せ場を作りました。セルシオ(現レクサスLS)やシーマがデビューしたのはこの年です。
1980年代 高級車が続々登場
それまでの国産高級車の概念を打ち破り、欧州製高級セダンに真っ向から勝負を挑んだセルシオ。デビューは1989年10月。
1990年代 コンパクトカーが主流に
 東京モーターショー史上最高の入場者数を記録したのは、1991年の第29回。バブル崩壊や自動車販売不振という逆境にもかかわらず、会期や開場時間の延長等により入場者は201万8500人にのぼりました。200万人を突破したのは、今のところこの第29回だけです。
 「発見、新関係。人・くるま・地球」の標語が表すように“環境”がテーマで、出品車両は前回までの高級車やスポーツカーから一転“コンパクトカー”がメインとなりました。
 乗用車・商用車が一緒に展示される“総合自動車ショー”は1997年の第32回を最後に一旦休止。その後は1年置いて奇数年が乗用車・二輪車、偶数年が商用車というように分離して交互に開催されるようになりました。その第32回には、ニューモデルとして初代プリウス、2代目ロードスターも参考出品モデルとして展示されました。
 第33回(1999年)は20世紀最初で最後の「乗用車・二輪車ショー」。参考出品モデルとしてレクサス・スポーツクーペ(現レクサスSC)、コペン、コンセプトカーとしてはRX-EVOLV(現RX-8)、XVL(V35スカイライン)などがお披露目されました。
1990年代 コンパクトカーが主流に
1995年の第31回ショーは閉場時間を午後7時に延長。会社や学校帰りにも行けるようになり、混雑も緩和されて好評だった。会場のスペースデザインはやはり一昔前という観がある。
2000年代 今年も主役はGT-R?
 21世紀最初の乗用車・二輪車ショーとなった第35回(2001年)では、ワールドプレミアとしてGT-Rコンセプト、フォルクスワーゲンW12 クーペ、メルセデス・ベンツF400カービング、ミニクーパーSなどのコンセプトカーが発表されました。光岡のオロチが初お目見えしたのもこのショーです。
 第37回(2003年)は35回の127万人を大きく上回る約142万人が来場しました。海外から5000人近い取材陣が訪れ、自動車産業のグローバル化をうかがわせました。中国の自動車産業が急成長したためか、特にアジア系の報道陣が多く見られました。
 そして、2005年の第39回は、過去最長の17日間という会期中に入場した観客は約151万2100人。世界最先端の環境・安全技術の展示も見応えのあるものでした。ですが、やはり話題の中心は前回に引き続き出品されたコンセプトカー、GT-Rプロトでした。第35回(2001年)に登場したGT-Rコンセプトよりも市販に近い形で出品され、2年後の市販開始はほぼ確実と言われました。

  その2年後となる今年、久しぶりに乗用車・二輪車・国産車のすべてを展示する総合自動車ショーとなった第40回も、やはりGT-Rが話題の主役となるのでしょうか!?
2000年代 今年も主役はGT-R?
国産メーカーのモーターショー出品車は報道陣には事前に公開されるのだが、第35回(2001年)ではニッサンは一切の予告なしに、ブリーフィングでこの“GT-Rコンセプト”を発表した。車名に「スカイライン」は付かず、単に「GT-R」だった。
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